ブログにおける語尾の性質
このエントリから文章の語尾を変えてみようと思います。
なぜ突然語尾を変えてみようと思ったのか。もちろん、いくつか理由があります。
理由を説明する前に、ブログにおける「です・ます調」と「である調」の違いを比較してみましょう。
(このエントリでは「ブログ管理者」のことを「author」と表記します)
そのブログを初めて読む人に対して
まずは、ブログを初めて訪れる人のことを2つに分けて考えてみましょう。
- 読者は既にauthorのことを知っている
- 読者はauthorのことを知らない
ケース1の場合、読者はauthorの口調や雰囲気を知っているため「です・ます調」であるか否かは読者にあまり影響を与えません。authorが執筆活動をしており、読者がその本をきっかけにブログを訪れた場合などはなおさらです。
では、ケース2の場合はどうでしょう。読者はauthorの情報を持っていないため、ブログの文章や写真がauthorの第一印象となります。
さて、「です・ます調」と「である調」、どちらが断定的(悪く言えば「押しつけがましい」)でしょうか。無論、後者です。
つまり、仮にエントリが秀逸なものであっても、読者に押しつけがましい印象を与えてしまうことで読んでもらえなくなってしまうかもしれません。(勿論これをどう捉えるかはauthor次第です)
文章の説得力
「です・ます調」の場合、断定の形を取るものの「である調」に比べれば弱いため拒否反応を示されにくい語尾です。加えて、「気がします」の形をとることによって、帰結関係などがやや曖昧であっても許されやすくなる傾向にあると思います。
(とは言え、読者の中には「こいつは何で毎回謙った言い方をするんだ。嫌らしいやつめ」と思う方もいるかもしれません。)
一方、「である調」は強く断定する形をとります。そのため、1つの文が複数の事柄に触れている場合、その要素の帰結関係が完璧に一致していないとき、読者は潜在的に「あれ?本当にそうか?」と思ってしまうことがあります。
さらに、僕だけかもしれませんが、「である調」を使う人が「~な気がする」書くと、「なぜこの人は突然弱気になったんだ?ソースが見つからなかったのかな」と感じてしまいます。
このように、分かり易い「押しつけがましさ」だけではなく、語尾は「文章に対する潜在的な印象・反応」さえも変えてしまうわけです。
実際に会ったときの印象
最後は、読者がauthorと実際に会ったときの反応についてです。
「である調」を使うauthorに会ったとき、authorが感じの良い人だと、「いつもは『物申す!』って感じだったのに実際会うと良い人だなあ」と感じやすくなります。
一方、「です・ます調」のauthorの場合、やや不遜な態度を示すだけで、読者に不快感を抱かれてしまう可能性があります。
こう考えると、「である調」を使った方が実際に読者と会ったとき、ギャップで落胆させないで済むのかもしれません。
僕が語尾を変えた理由
僕は学生で、本の執筆経験もありません。僕のことを知っている人の大部分は、実際に会ったことのある人でしょう。
しかし、僕のブログを訪れる人の大半は僕のことを知らない人、つまりケース1の方々なわけです。
推測の域を超えませんが、初めてここを訪れた読者が僕に抱く印象は「学生が何かと強い口調で語っている」といったようなものでしょう。それを「面白い、なかなか気骨のあるやつだ」と感じる読者の方もいるかもしれませんが、年功序列カルチャーを考えると「若造が、何を偉そうに」と考える人の方が多い気がします。
やや被害妄想のきらいはあると思いますが、拒否反応を示されにくい表現があるならば、それを使わない手はないと思ったわけです。
そして、普段のエントリから「です・ます調」を使うことで、自分の押しつけがましさを弱くできるのではないか、と考えたのが2つめの理由です。
個人的なことですが、仲の良い友達に言わせても、そして自分自身の認識でも、僕は押しつけがましい傾向にあります。良く言えば「意見をはっきりと言う人」ですが、押しつけがましさを無くせればそれに越したことはないので、変えようと思うに至りました。
この2つが、僕が文の語尾を変えた理由です。せっかく書いたエントリなので、多くの方に抵抗なく読んで頂ける方がauthorとしては嬉しいです。(もちろん意見や反論などを頂きたいですが、それ以前の段階で読んでもらえなければ残念ですからね。)






