ユダヤ人は如何にして商業に強くなったか
今回の話はユダヤ人がパレスチナに古代イスラエル王国を建国したことから始まります。現在でいうところのレバノンあたりと考えて頂ければ結構です。
まずは、「なぜユダヤ人は元々いた土地を離れたのか」について説明しましょう。
ユダヤ人のいた土地
1つめの理由は国土の特殊性です。上記の地図はレバノンの地形を示したものなのなのですが、見て分かる通り、山脈地帯が国土の大部分を占めいます。この山がちな土地は農業に適さず、非常に住みにくい土地だと言えます。
そして2つ目の理由は、前述の国土の特殊性をはるかに凌駕する、土地柄の特殊性です。上にはシリア(フェニキア)、サマリアが、そして下にはエジプトがあり、大国に挟まれる形になっていたのです。この不幸な土地柄のため、時代によって東ローマ帝国、オスマン帝国、フェニキア人、エジプト人、ペルシア人、バビロニア人によって支配されることになってしまいました。
そして、繰り返される支配は同時にもう1つの不幸をもたらしてしまいました。それはユダヤ教が一神教であったため、支配されるだけではなく、過度に排除されてしまったのです。
交易離散共同体としてのユダヤ人
上記の理由で、もといた土地に住みにくかったユダヤ人たちは離散し、2つのグループに分かれました。1つは他の土地に定住するグループ、そしてもう1つは各地を移動する旅商人になったグループです。因みに、こうしてパレスチナを離れたユダヤ人、もしくは離散したユダヤ人のコミュニティーのことを「ディアスポラ」と呼びます。
定住したグループはその土地に根付くことにより、風土・習慣・情報に熟達し、それらの情報を土地を回るグループに提供することで、ユダヤ人全体として広域のネットワークを確立することになりました。離ればなれになったユダヤ人たちのアイデンティティを維持していたのが、彼らの宗教であるユダヤ教であったことは言うまでもありません。
土地々々を回るユダヤ人のグループは、各地の仲間たちだけではなく、旅商人同士でのコミュニケーションを通し、文化や政治体制、お金の調達方法、商品の価格などを情報を仕入れ、例えばエジプトで価値が低い商品を買い込み、より高く売れるヨーロッパで売りさばくなどと言ったことをしていました。(昨年エントリを書いた、明神茂氏は現代のマーケットで裁定取引(アービトラージ)をしていましたが、このユダヤ人の行動はまさにアービトラージですね。)
交易におけるアドバンテージ
交易離散共同体となったユダヤ人ですが、彼らが交易に向いて理由が存在します。
まず1つ目に、広域ネットワーク化によって、「外国人」として扱われてしたことです。このため、人間関係の外部にいることができ、商業に集中することが出来ました。
そして2つ目に、キリスト教は反商業的な教えであったのに対し、ユダヤ教においてはそうではなかったと言うことです。(これについて後でもう少し詳しく補足します)
最後、3つ目の理由は、「”交易離散共同体”となったユダヤ人」の強みなのですが、外国の物品を持ち込んでくるため、王侯貴族に優遇されることとなり、商業がしやすかったことです。(例えば、山賊が出るような山道を国の兵士に護られながら進んだりなど)
これは僕の憶測に過ぎないかもしれませんが、様々な民族に支配された結果、異文化コミュニケーションに長けていたユダヤ人は、2つの民族の媒介者としての素養があり、商業に向いていたと言えるのかもしれません。
ユダヤ人迫害

ローマ帝国において、もともとは異端であったキリスト教が国教となり、唯一神イエス・キリスト以外を信仰することのないキリスト教徒によってユダヤ人は迫害を受けることになります。(これは聖書に「イエスを殺害したのはユダヤ人」と書かれていることも理由だそうです)
また、これに拍車をかけることとなったのが十字軍の遠征でした。聖地(エルサレム)奪回を意図して組織された十字軍に、同じくエルサレムを神聖な土地としていたユダヤ人が激しく抵抗したために、より一層迫害を受けることになってしまったのです。
さらに、ローマにおいてユダヤ人商人が成功し、現地商人が活動の場を失ったたことも迫害を加速させました。
そして、このような迫害を決定づけたのがペストの大流行でした。ヨーロッパ全人口の3分の1の命を奪ったペストの流行時に、ユダヤ教徒の被害者が少ないと言われ、各地で迫害を受けたり、虐殺されることになってしまったのです。
金融業へ進出することに
迫害を受け活動の場を失ったユダヤ人は、金融業へ進出します。
キリスト教において金融業は憎悪の対象でした。というのも、何かを”生み出す”ということが出来るのは神だけで、利子を”生み出す”という行為は神の冒涜に当たるとされていたためです。しかし、まともに商売が出来なくなってしまったユダヤ人はその業務をするしかなかったのでした。
とは言え、やはり憎悪の対象であった銀行業務を始めたゆだユダヤ人はさらに迫害を受けることとなり、1215年に第4回ラテラン公会議でバッジの着用を義務づけられ、1290年にはイギリスから追放されてしまいました。また、1492年のレコンキスタ集結に伴い、イスラム・スペインからも追放されることとなります。
その後
各地から追放されたものの、時間をかけてヨーロッパ経済に溶け込んだ彼らは、徐々にアイデンティティを失い始め拡大するヨーロッパ経済ネットワークに取り込まれてしまいました。(長距離貿易やプランテーション経営、株式市場(アムステルダム)などへ参加したそうです)
因みに、中世前半に古代ローマからヨーロッパへ移住し、中世後半の迫害で東欧に移住したユダヤ人達をアシュケナジムと呼び、中世にイスラム・スペインに移住して、1492年の追放でヨーロッパ各地に散っていった人たちをセファルディムと呼ぶそうです。
前者のアシュケナジムの末裔には僕の大嫌いなマルクスや、僕の大好きなアインシュタイン、ロボット3原則のアイザック・アジモフ、ノーベル経済学者のスティグリッツなどがおり、一方、後者のセファルディムの末裔には、古典派経済学者のリカードや、「絶望とは愚者の結論である(Despair is the conclusion of fools.)」という有名な言葉を残した、イギリス元首相ベンジャミン・ディズレーリなどが挙げられます。
国家と外国人
このエントリは、大学1年の時に受講した伏見岳志教授の「歴史」という授業(の一部)がもとになっています。僕があまり調べていないのもあるせいで、歴史的に間違っている部分もあるかと思うので、是非、間違いがありましたら指摘してください。
それでは最後に、「歴史」の授業で国家と外国人の関係についてどのような関係があるか、先生がまとめたものを最後に書いてエントリを締めくくりたいと思います。非常に示唆に富む内容だと思うので、一読することをオススメします。最後までおつきあい頂き有難うございました。
- 商業活動が停滞している地域や、国王の利益になる場合に使われる
- 経済活動が盛んなときには、特に目立たない
- 国家としてのまとまりが必要な危機的状況において、攻撃され、排除される



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